久慈市・鰺ヶ沢町「歴史文化で結ぶ友好協定」記念山車は、令和3年10月17日(日)に久慈道の駅土風館に展示しました。コロナ禍で2年連続で久慈秋祭りが中止になり大変残念ですが、せめて山車だけでも見に来ていただければうれしく思います。
(山車の題名)
「津軽藩始祖大浦光信公の安東水軍駆逐の場」
(山車の舞台説明)
大浦光信公(下ノ久慈の領主時代は南部光信と称す)は、延徳3年(1491年)に、三戸南部氏の命を受け入れ、豪族安東氏の津軽奪還を抑えるために九戸郡下ノ久慈(現在の久慈市田屋町・新井田周辺)から、つわものぞろいの軍勢を率いて種里(青森県鰺ヶ沢町)に入部しました。
光信公は、種里城を居城とし、多くの合戦を制しながら、安東水軍の駆逐に大成しました。そして、光信公が目指し後に為信公が成し遂げた津軽統一の礎をつくり、津軽藩の始祖として現在にその名を残しています。為信公(後の津軽為信)は上ノ久慈(現在の久慈市大川目町)を治める久慈備前守の一族で大浦氏に婿養子に入ったといわれています。
さて、今年の山車は、久慈と津軽藩との歴史の縁が深いことや、久慈市と鰺ヶ沢町との「歴史文化で結ぶ友好協定」の締結を祝した記念山車になっております。 山車の舞台設定は、鰺ヶ沢町の七里長浜と岩木山系の山々を背景にして繰り広げたとされる大浦光信公の軍勢と安東水軍の合戦の様子を、山車いっぱいに表現した大作であります。
どうぞご覧ください。
東奥日報で紹介されました。(2021年10月21日)
陸奥新報で紹介されました。(2021年10月24日)