久慈城跡を南側から観る
久慈城跡を南側から観る(ドローンでレーザー撮影)
(令和4年4月8日に久慈城跡は岩手県指定史跡になりました。)
大川目町の新町にある城跡は、久慈川の支流となる切金川と堀川に囲まれた独立丘陵に立地し、丘陵頂部の主郭を中心とした山城である。掘立柱建物跡や白磁などの陶磁器や北宋銭なども出土していることから15〜16世紀の城館跡となっている。城は天正20年(1592)に廃城となっているが、城が大きく改変されていないことや、各平場や傾斜面など中世の遺構が残り、その特徴をそのまま示す希有な中世城館であることが評価された。
また、城跡の保存には大川目地区の地域住民や大川目中学校生徒などの積極的な活動など文化財保護の模範的な取り組みが高く評価されました。
自由に見学できますので、四季による景観の変化や久慈の歴史を感じながらご覧になっていただければと思います。
通称 | 新町館 八日館(別名) |
城郭構造 | 中世城郭の代表的な山城(※1) |
天守構造 | なし |
築城主 | 久慈備前守信実 |
築城年 | 文明年間(1469年〜1486年) |
存続期間 | 文明年間(1469年〜1486年) から 天正20年(1592)までの123年間 |
廃城年 | 天正20年(1592年) |
主な城主 | 備前守政継 三河守信義 備前守直治 など |
菩提寺 | 慈光寺 その後長久寺(新造営後)になる。 |
遺構 | 主郭部や三段構成の帯郭(※2)、濠跡、馬場跡等が良好な状態で残っている。 |
指定文化財 | 久慈市指定史跡 昭和48年(1973年)10月8日 |
標高 | 80 m(主郭付近) |
比高 | 40 m |
石高 | 五千石(備前守直治が城主のあたり) |
久慈備前守 信実 【のぶざね】 |
大川目新町館(八日館)に居館する。 |
久慈摂津守 信政 【のぶまさ】 |
|
久慈備前守 政継 【まさつぐ】 |
・家督の後、命により出羽平賀軍大曲群代、境の戦に壮烈な討死を遂げた。 ・三戸南部氏一門として重臣上座にあった。 |
久慈摂津守 信継 【のぶつぐ】 |
・兄政継が戦死し、その子である治継が幼少のため暫くその遺領を相続する。 ・治継成長の後これを退く。 |
久慈摂津守 治継 【はるつぐ】 |
・出羽大曲に於いて生まれる、 ・父戦死の時幼少なり。 ・久慈村の修験道南光坊並僕戸鎖という者が治継を連れて久慈村に逃げ返る。 ・叔父信継に養われ成長する。 ・晩年双親のため銀杏山長久寺を建立する。 ・久慈村に死す。 |
久慈備前守 治義 【はるよし】 |
・妻は九戸光政の娘 |
久慈参河守 信義 【のぶよし】 |
・妻は九戸康連の娘 ・弟は弘前城主津軽為信 ・九戸の乱で穴沢氏に身を寄せるが、また津軽へ戻る。 |
久慈備前守 直治 【なおはる】 |
・南部党の中でも重鎮で宿老の地位にあった。 ・男子なく九戸政実の弟、政則を養子にする ・九戸の乱に加わり、敗れて久慈氏の直系は滅亡する。 ・仙台三迫において九戸政実ともに誅死。 |
中務 政則 【まさのり】 |
・直治の娘の夫(養子) ・九戸政実の弟であり九戸氏との繋がりが深い ・実父、九戸右京助信仲の三男である。 ・九戸の乱に関し、仙台三迫において、政実・直治と共に誅死。 |
販売場所・価格
道の駅くじ「やませ土風館」(城跡より約6q) 岩手県久慈市中町二丁目5番6
電話:0194-66-9200 開館時間:9時〜 19 時 休館日:1 月1日
1枚300円(税込み)