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戦国時代の風も吹いてます。

久 慈 城


久慈城跡を南側から観る


久慈城跡を南側から観る(ドローンでレーザー撮影)

 (令和4年4月8日に久慈城跡は岩手県指定史跡になりました。)
 大川目町の新町にある城跡は、久慈川の支流となる切金川と堀川に囲まれた独立丘陵に立地し、丘陵頂部の主郭を中心とした山城である。掘立柱建物跡や白磁などの陶磁器や北宋銭なども出土していることから15〜16世紀の城館跡となっている。城は天正20年(1592)に廃城となっているが、城が大きく改変されていないことや、各平場や傾斜面など中世の遺構が残り、その特徴をそのまま示す希有な中世城館であることが評価された。
 また、城跡の保存には大川目地区の地域住民や大川目中学校生徒などの積極的な活動など文化財保護の模範的な取り組みが高く評価されました。
 自由に見学できますので、四季による景観の変化や久慈の歴史を感じながらご覧になっていただければと思います。

久慈城の概要

 久慈城は当初八日町館城、通称新町館と称し大川目町新町にあり、本丸と周囲を2〜3段に切り崩した帯曲輪、三方に水濠を一方に空濠を配した中世城郭の代表的な山城である。
 文明年間、久慈備前守信実によって築城され以来、久慈氏治績の象徴とし、さらに野田城、葛巻城と共に三戸南部氏の東海岸南進の境目の城としての存在が推考される。
 歴代の城主は三戸南部氏一門として重臣上座にあり、境の戦に壮烈な討死を遂げた備前守政継、三閉伊進行に南部軍の先峰として軍力抜群の三河守信義、その異母弟で陸奥の風雲児と称され後の弘前城主津軽為信等傑出武将がいる。
 しかし、治政よく繁栄し続けた久慈氏も、19代備前守直治の代に至り、天正19年の九戸合戦で南部信直に敵対したため、九戸落城と共に久慈氏本系は滅亡した。
 一時一族の久慈修理が信直の代官としてこれを管理していたが、文禄元年(1592年)信直の命により破却され、久慈城の歴史は閉じられた。

※現在はあくまで「久慈城跡」であり、城や付属する建物等はありません。

久慈城のデータ

 通称  新町館 八日館(別名)
 城郭構造  中世城郭の代表的な山城(※1)
 天守構造  なし
 築城主  久慈備前守信実
 築城年  文明年間(1469年〜1486年) 
 存続期間  文明年間(1469年〜1486年) から
 天正20年(1592)までの
123年
 廃城年  天正20年(1592年)
 主な城主 備前守政継
三河守信義
備前守直治 など
 菩提寺  慈光寺 その後長久寺(新造営後)になる。
 遺構 主郭部や三段構成の帯郭(※2)、濠跡、馬場跡等が良好な状態で残っている。
 指定文化財  久慈市指定史跡
 昭和48年(1973年)10月8日
 標高  80 m(主郭付近)
 比高  40 m
 石高  五千石(備前守直治が城主のあたり)
(※1)山に築いた城。山頂や山腹などの地形を利用してつくられた城。 
(※2)帯郭とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称である。


久慈城の歴代城主

久慈備前守 信実
のぶざね
 大川目新町館(八日館)に居館する
久慈摂津守 信政
のぶまさ
 
久慈備前守 政継
まさつぐ】
・家督の後、命により出羽平賀軍大曲群代、境の戦に壮烈な討死を遂げた
・三戸南部氏一門として重臣上座にあった。
久慈摂津守 信継
のぶつぐ
兄政継が戦死し、その子である治継が幼少のため暫くその遺領を相続する。
・治継成長の後これを退く。
久慈摂津守 治継
はるつぐ
・出羽大曲に於いて生まれる、
・父戦死の時幼少なり。
・久慈村の修験道南光坊並僕戸鎖という者が治継を連れて久慈村に逃げ返る。
・叔父信継に養われ成長する。
・晩年双親のため銀杏山長久寺を建立する。
・久慈村に死す。
久慈備前守 治義
はるよし
・妻は九戸光政の娘
久慈参河守 信義
のぶよし
妻は九戸康連の娘
弟は弘前城主津軽為信
・九戸の乱で穴沢氏に身を寄せるが、また津軽へ戻る。
久慈備前守 直治
なおはる】
・南部党の中でも重鎮で宿老の地位にあった。
・男子なく九戸政実の弟、政則を養子にする
・九戸の乱に加わり、敗れて久慈氏の直系は滅亡する。

・仙台三迫において九戸政実ともに誅死
中務 政則
まさのり
・直治の娘の夫(養子)
・九戸政実の弟であり九戸氏との繋がりが深い
・実父、九戸右京助信仲の三男である。
・九戸の乱に関し、仙台三迫において、政実・直治と共に誅死。

久慈氏の系譜




※黄色着色部は久慈城の歴代城主

久慈氏の家紋

  久慈市内の家紋研究者によと、「久慈菱」・ 「二重菱に五三桐」・「卍」の3つの家紋が使用されていたと考えられる。久慈氏は「久慈菱」紋を用いることが多いとされ、古文書には「二重菱に五三桐」・「卍」を用いたとの 記載が見られる。備前守治義のころには九戸氏とのつながりが深く九曜も用いたと推測される。

久慈菱 二重菱五三桐 
 九曜

久慈城跡へのアクセス


久慈城跡の鳥瞰写真

 
  黄線内が久慈城跡地。赤線内は慈光寺。写真下側は大川目町新町の集落。

「南部御城印プロジェクト」について

「御城印」とは… お城の歴史にゆかりある家紋や題字があしらわれた和紙のお札 で、各城の来城記念となるものです。売上の一部は、各城の維持 管理や整備、活用にあてられます。※寺社の「御朱印」とは異なります
「御城印」購入の心得 九ヶ条
@各販売先では、当該城館の「御城印」のみ販売いたします。 A当企画の「御城印」販売価格は、一律1枚300 円(税込)です。 B各販売先とも、休場・休館日の「御城印」販売はいたしません。 C「御城印」は印刷物です。各販売先で題字記帳はいたしません。 D郵送などによる販売は行いません。各販売先で「御城印」をご購入ください。 E全ての「御城印」を集めても特典はございません。F転売防止を目的とし、一度に「御城印」を大量購入される方 には、購入理由を確認させていただきます。G稀に「御城印」が完売している場合もございます。各販売先の販売状況ご確認の上、販売先へ足をお運びください。H神社仏閣の「御朱印」と「御城印」は異なります。同じ御朱印帳に貼付けた場合、社寺での記帳を断られる場合もございます。ご注意ください。


【事務局】八戸市博物館(青森県八戸市大字根城字東構35-1)電話:0178-44-8111
※最新情報は「南部お城めぐりFacebook」から ⇒
https://www.facebook.com/NanbuGojoinProject
 

販売場所・価格
道の駅くじ「やませ土風館」(城跡より約6q)  岩手県久慈市中町二丁目5番6  
電話:0194-66-9200  開館時間:9時〜 19 時  休館日:1 月1日 
1枚300円(税込み)