味噌をつけた長者どん 虫歯の大黒様 大滝の主 節分の鬼 侍と化け猫 八郎太郎の話 キツネのお産 坊さんのとごろ マスコとキジッコ 米ぼうと糠ぼう
むがしむがし、ある村に何十人もの下男下女を使っている長者どんがあったじょう。ところぁ、ある年の春、ひとっつも雨ぁ降らず、はしらぎぁ(乾燥)ひどかったある晩、その長者どんの上となりから火事ぁでたじょう。その晩はまたひどい風ふきで、風ぁ下手から長者どんの家さむかって流れ、家中ぁ大騒ぎになったじょう。そこで、使われ者ぁ総出で一生懸命に屋根さ水っこをかげだり、火の粉をたたき消してがんばり続けたじょう。んでも一向にその火ぁ下火にならず、長者どんの家の方まで飛び火して、ついに米倉さ火ぁついでしまったど。そしたら、長者どんは、家中の下男下女を一同に集めて、「味噌倉から味噌をだして家中の外壁さ全部塗れっ。味噌にぁ火ぁつくはずぁねぇ」と大声で命令したじょう。おなご(女)衆ぁ倉からせっせと味噌を出し、男達ぁ汗ぇ流して屋根や壁さありったけの味噌を塗ったじょう。ところぁ風ぁ強くなる一方で、そのあおりであちこちに火ぁつきそうになってきたど。長者どんはそこで、今度ぁ「一番汚ぇふんどしと、ありったけ汚ぇ腰巻きぃば見つけて、棟のてっぺんさたてろ。」って叫んだじょう。「火っつうのぁ、汚ぇのぁ好きでねぇはずだ。なんとしても、この家ば守んねぇばだめだ。」ってはりきってやらせだじょう。そしたら、なんと、いがいなことに風向きぁ変わり、火もだんだんと下火になり、長者どんの家ぁこの災難から逃れることぁできたじょう。「やっぱり長者どんだ。長者どんの知恵ぁ大したもんだ。」って村のひと達ぁただただほめたたえたど。ところぁ米ぁなんぼか残ったじょうども、味噌ぁひとっつも無くなって、毎日米の飯ばかり、食(か)せられるようになってしまったじょう。何十人といる下男下女達ぁ日ぁ経つにつれて、味噌汁ぁ無くてぁ飯もくえねぇし、かせぐこともできねぇって言うようになり、それぇ聞いた長者どんは、となり近所さ味噌をもらいにやって、なんとか何日かは、しのぐことぁできたじょうども、それも長くは続かなくなり、下男下女さ今日一人、明日一人と、ひまぁけで実家さ帰したじょう。そしてついに長者どんと、かが(妻)さまだけになってしまったど。下男下女ぁいなくなってからは、山ほどあった田も荒れていく一方で、長者どんは、あっちの田ぁ売り、こっちの畑ぇ売り、ついに家っこだけになってしまい、その家でさえ誰も手入れする者ぁなくあっちぁ壊れ、こっちぁ壊れ、売る物ぁ何ひとつ無くなり、村一番だった長者どんも、ついに村一番の貧乏者になってしまったじょう。村の人ぁそれから「長者どんも味噌をつけたものだ。」って笑うようになり、それ以来、失敗したり面目をうしなったりした時に、「味噌をつけたものだ。」って言うようになったじょあ。
本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。
むがしむがし、春の雪どけの頃になると、とび口を持って、みのを着てわらじ姿で、山形村の方がら声かげぇしたり、歌を唄ったりして、十人も二十人もの人ぁ、いかださ乗って、久慈の湊の製材所まで丸太ぁ運んだったじょう。んでもこのいかだ流しは、簡単なもんではなかったど。それぇあ、大滝つうところさ来れば必ず丸太ば、引き上げねぇばなんなかったじょう。大滝のところぁ川が渦を巻いていたために、そこを抜けるのができなくて、何人もの犠牲者がでたものだったじょう。んだから、大滝さ来れば、おかさ上がって小屋がけをし、樽酒やへいそくをきって、ろうそくをつけ、「水神様、こごを通ることをゆるしてくだせぇ。」と言って何度もお願いをして、酒をのんだじょう。というのは、むがしから人ぁどぁそこを通ると、何ぁ何だかは知らねぇが、必ず人ぁ死んだじょう。大滝さ行けば水神様が川の中にいて、人を引きずり込んでしまうって、みんなひどく恐がったじょう。あるとき、六坊ぁ通りかり、その辺の人ぁどうから、いつまでたっても事故ぁあとをただねぇと言うことを聞き、「よしっ、俺ぁこごでみんなぁ助けてやろう。何十年も神様ぁ拝んできたのぁ、こんな時に、人ぁどうの役にたつためだと、心を決めたじょう、そして、水神様を三、七、二十一日の月三回お祈りし、その間、塩をなめ、生米をかじっただけで、めしも食(か)ないで大滝さこもっていたじょう。「どうか姿ぁみせでけだらその姿ぁ永久に大滝である水神様のお姿としてお祈りするから。」って拝みつずけだら、二十一日の丑の刻に、生米をかんで水面を見ながらお祈りしていた六坊は、なんだかおかしな風ぁ吹いで水面が「スーッ」とおだやかになるのに気ぁついたじょう。「ハッ」と見ると、よろいかぶとの武士ぁ馬上で川をこいで来たったじょう。んでも六坊ぁ水の中になあして人間だの馬ぁ生ぎでるべぇ、そっただごどは絶対ねぇど思って、「本当の姿ぁ見せでもらいてぇ。」と何度もしゃべりながら、また、生米をかじり水だけ飲んで二十一日間、毎日毎晩手を合わせで水面さお祈りしたじょう。そうして、また二十一日の深夜になったぇば、風と波ぁさーと立って、今度こそぁ本当のお姿かと思って見てぇば、水もしたたるような美人が白足袋をはいたまんま、水面をスーッスーッとすこし足ぁ水に隠れるくらいにして歩いで来たのを見て、こっただ深夜に、こったぁ人ぁしかも女ぁ水の仲さ住んでるはずぁねぇ、なぁして拝んでいるのに姿ぁ見せでけねぇべぇ、姿ぁ見せでけねぇば動かねぇって、またつずけてこもったじょう。さらに二十一日が過ぎ、あわせて六十三日目の真夜中になったら、水がサーッとおかのほうまで上がってしまいそうな勢いで水面が高くなり、ビックリしていたとき、水の真ん中からそこらじゅうが明るくなるくらいの金色の光がさしてきたじょう。六坊は、それでも無我夢中で拝みつずけだじょう。その時、川底のところに剣が逆さに立っていて、龍だか大蛇だかその剣さ、からまるように上へ上って、ファッと口をあけてしばらくその姿ぁ六坊に見せて、サッとあれよあれよという間に消えてしまったじょう。六坊ぁ「ああ有り難いこった、有り難いこったって、六十三日も生米と塩と水だけで拝みつづけ、体がへとへとになり、足もふらふらになるまでこもったかいがあったと、深々とお礼をし、二十一日たったら必ずお姿を彫り物にして、もってくっすけぇに、と水神様に誓ってでていったじょう。二十一日たった日、六坊はちっこいお宮を建て、その中に剣にからまった龍の彫り物をまつり、その姿を大滝の主として拝んだじょう。それからぁ、大滝で事故みなくなって、人ぁどあ安心して通れるようになったじょあ。
むがしむがし、あるところに、ひとり暮らしのじいさんが、いだじょう。じいさんのかが(妻)は、病気で早く亡くなって、たった一人の息子も2、3年まえに病気で亡くなり、老いてきたじいさんは 細々と暮らしていだじょう。村人も、病気ぁうつるって、あんまり近づかなくなって、いつもさびしい毎日をおくってたじょう。寒明けの節分の晩になって、どこの家でも「福はうち、鬼はそと」って、豆まきぃしてっとこを、そのじいさんは、おらにぁかが(妻)も、子もねえって、あべこべに「鬼はうち 福はそと」って大きな声、で豆ぇまいだじょう。すると、外で「
おばんです 」って叫ぶ物あ、あったど。じいさんが戸を開けてびっくりしたじょう。「いやあ、どごさいっても、鬼はそと、鬼はそとって嫌われてばかりなのに、お前んとごでは、嫌われ者も呼んでけだ、こんなうれしいことぁなぇ、まず、あたらしてけろ
」って家の中さ入って来たじょう。じいさんは、なにもないけど、あたってけろって、たき木を、ぽんぽん、くべだじょう。鬼は非常によろこんで、おかげさまであったまった、何かお礼がしたいが、何か望みはないかって聞いたじょう。じいさんは なにもいらねえって ことわったじょう。鬼はぜひお礼をというので、じいさんは「
お金を少し 」って言ったじょう。鬼たちは、ほいきたといって、出ていったじょう。しばらくして、赤鬼と青鬼は、たくさんのお金をもって来たど。その夜、じいさんと鬼たちは、夜遅くまで大酒盛りをして、楽しんだじょう。赤鬼も青鬼も、今年はじいさんのおかげで、節分は、大どんつく楽しかった、また、来年も来るといって、上きげんで帰っていったじょう。それから、じいさんは一人暮らしでも、なんとか人並みの生活をすることがでぎだったじょあ。
本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記 考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。
むがしむがし、その又むがしむがしのこと、山奥に古い大っきなお寺ぁあったじょう。そのお寺のお尚様ぁとしょって死んでしまったど。お尚様ぁ死んでからというものぁ、お寺にお参りする人も少なくなり、お寺ぁだんだんさびれ、障子ぁ破け、天井だのそこえら中くもの巣だらけになり、床板ぁ腐って、静かに歩かねぇば危ないくらいになってしまったじょう。そして、いつの頃からか、何ぼいっばぇあげ申して来ても次の日にお寺さ行って見れば無くなっていだど。それぇ不思議に思った村人ぁみんなこわがってますます寺さ近づかなくなってしまったじょう。ところあ、村一番元気の良い熊太爺が、「だったら今夜、俺ぁ寺の様子見んに行って来んべえぁ。」と夕方山さ入って行ったじょう。朝になっても熊太爺が村に帰って来ねぇので、村の人達ぁみんなで様子見さお寺に行って境内さ入ってぇば、青くなってガタガタふるって歩ぐもしゃべんもできねぇ格好してた熊太爺を見つけてびっくりしたど。そしてやっとの思いでみんなあ熊太爺を連れて出て来だど。それからつうもの村の人達ぁ誰も寺さ行かなくなってしまったじょう。熊太爺の話だと、真夜中になったぇば急に本堂の方で何かの音だかギギーギギーと戸でも開くような音ぁし、しばらくしたぇば、スタスタ、スタスタと誰か歩くようで何とも気味ぁ悪い音ぁ近づいて来たので、大きな柱の蔭さかぐれでいだら、ウーウー、ゴロロ、ゴロロと音がしたど。おっかなくなった熊太爺ぁ夢中になって逃げ出したじょあ、あどあ何もほずぁなくなって倒れてしまったところを村の人達に助けられだじょう。その話を遠くの方の強い人だの、元気の良い人達ぁ聞き、その寺の化け物を「退治してやる。」「いや、俺が退治してやる。」と次から次と、寺さ来て泊まって、翌朝、村の人達ぁ行って見ると誰もいなくなってだったど。村の人達ぁ化け物に殺されだが、それとも逃げで行ったのだが誰も本当の事はわがんねえで心配したじょう。それからしばらくたった冬の或る日、そのお寺のうわさを聞いた品の良いお侍がこの村にやって来たじょう。侍は村の地主様の家さ来て「今晩この山の寺に泊まり、化け物を退治したいから、皆さんの力を貸して下さい。よろしくお願い申します。」と言ったんだと。そこで地主様は、「何でも手伝いますからとにかく助けて下せぇ。化け物を今度こそ退治して下せぇ、村中のお願ぇでござぇますだ。」と、そのお侍に頼んだじょう。そこでお侍は、それじゃ、今夜中、夜が明けるまで燃やすだけのたき木を取って、炉のそばに積んでおいて下されと言ったじょう。村の人達は皆で一生懸命たき木を取って来てお寺の廊下のそばさいっぱい積み上げだじょう。村の人達ぁ夜の明けるのをじっと待ったど。侍は、お寺で火をどんどん燃して、化け物の出て来るのを待ったじょう。そのうちにだんだん夜も更けてきて、真夜中を過ぎた頃から侍は、眠むたくなって来たど。はっと目を覚まして又、たき木をどんどんくべているうちに又、とろりとろりと寝むたくなって来たので、そろそろ化け物が出て来るかも知れねぇと思って、寝むくなった目をこすりながら眠ったふりをしていたら、本堂の方からギギーギギーと音がしスタスタ、スタスタと誰か近づいて来るようで気味ぁ悪くなって来たど。侍はそれでも心の中で、ナンマイダナンマイダととなえながら耳を澄まして音のする方を聞いていたじょう。そのうちにその足音はスタスタ、スタスタと侍のいる方さ向って近づいて来たので、気づかれないようにそっーとのぞいて見てぇば、なんときれいな姉様ぁ、白い手拭いを頭にかぶり、帯はだらりと引きずって、侍のすぐそばさ来て立ちどまったじょう。侍はいつでも切りかかれる様に左の手は刀にかけ、右の手では火ばしをにぎって炉をかきまわしていたじょう。
むがしむがし、大川目の村の荒津前平つうどこさ、八郎太郎っていうばかに元気のいいわらすぁ(子ども)いだじょう。八郎太郎ぁ、毎日毎日野っぱらぁ走り回ったり、山々を駆けめぐって遊んでるわらす(子ども)だったじょう。本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。
むがしむがし、真冬の寒い吹雪の夜に、町医者の玄関をたたく者ぁあったじょう。ドンドン、ドンドン、風の音に消されて誰も起きてこながったど。それでもドンドン、ドンドンと玄関をたたきつけたじょう。やっと女中がその音を聞きつけて起きてみると、吹雪の中でこごえそうにして一人の男ぁ立っていたじょう。本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。
むがしむがしのこと。村の娘っこが家の前の川で山芋を洗ってだったじょう。そこさ、きたならしいなりをしたお坊さんが来て、橋の上さ立って、「娘っこ、その山芋はうまかべっ、ひとつけでみろ。」ったじょう。
むがしむがし、マスコ(さる)とキジッコ(きじ)と寄り合いかまどをたでだじょう。春になってマスコとキジッコぁ粟っこをまくべえったじょう。マスコもキジッコも大切におがしたじょう。ある日、「粟の穂っこぁ出だが行って見でこう。」ってマスッコぁキジッコにしゃべったじょう。キジッコが畑さ行ってぇばたくさんの穂っこぁ出でで、一つだげ味見してみようと食ったっけぁ、あんまりうまいせぇで一つだけ、あと一つだけって食ってるうちに、畑の栗っこをみんな食ってしまったじょう。キジッコぁ困ってしまって、マスコさ「もう少しで出っとこだっけぁ」ってうそをしゃべったじょう。マスコぁおがしく思って、畑さ見に行ったじょう。よく見たぇばみんな食ったあどだったと。マスコぁ家さ来て、キジッコぉ。竹っこを切って来てけろぇ。」ったど。「竹っこを切って何せぁ」とマスコに聞いたじょう。マスコぁ、「冬になって食うのぁなぐなったら、竹っこで串つぐってキジッコを焼いで食うべぇ。」ったじょう。
むがしむがし、あるところに米(こめ)ぼうと糠(ぬか)ぼうという二人の姉妹があったじょう。