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いろんな風が吹いてます

おらが町の昔っこ(昔ばなし)

 今、地方の時代と呼ばれながら急速に浸透してきた都市文化の波は情報過多、距離空間の短縮の中で、地方文化の土壌を覆いつつあるように思えてならない。郷土には郷土の文化があり、新たな発掘と、豊かな創造のもとに、限りない伝承活動が行われているところに土着の文化がうまれてくると常々信じております。私たちの郷土には、美しい山と澄んだ川その豊かな自然と共に、このような昔ばなしや言い伝えなど、次世代を担う人々へ大切に伝えていかなければならないものがたくさんあります。
 これらの昔話は、当時の大川目青年会が、お話を提供してくれる方々の自宅に出向き、「カセットデンスケ」を携え、取材をして集めたものです。テープ起しから編集まで大変な作業でしたが、提供者の皆様のお陰で68話の昔話を完成させました。

味噌をつけた長者どん  虫歯の大黒様  大滝の主  節分の鬼  侍と化け猫  八郎太郎の話  キツネのお産  坊さんのとごろ  マスコとキジッコ  米ぼうと糠ぼう 

味噌をつけた長者どん
テレビ『まんが日本昔ばなし』で放映されたオリジナル原話。

 むがしむがし、ある村に何十人もの下男下女を使っている長者どんがあったじょう。ところぁ、ある年の春、ひとっつも雨ぁ降らず、はしらぎぁ(乾燥)ひどかったある晩、その長者どんの上となりから火事ぁでたじょう。その晩はまたひどい風ふきで、風ぁ下手から長者どんの家さむかって流れ、家中ぁ大騒ぎになったじょう。そこで、使われ者ぁ総出で一生懸命に屋根さ水っこをかげだり、火の粉をたたき消してがんばり続けたじょう。んでも一向にその火ぁ下火にならず、長者どんの家の方まで飛び火して、ついに米倉さ火ぁついでしまったど。そしたら、長者どんは、家中の下男下女を一同に集めて、「味噌倉から味噌をだして家中の外壁さ全部塗れっ。味噌にぁ火ぁつくはずぁねぇ」と大声で命令したじょう。おなご(女)衆ぁ倉からせっせと味噌を出し、男達ぁ汗ぇ流して屋根や壁さありったけの味噌を塗ったじょう。ところぁ風ぁ強くなる一方で、そのあおりであちこちに火ぁつきそうになってきたど。長者どんはそこで、今度ぁ「一番汚ぇふんどしと、ありったけ汚ぇ腰巻きぃば見つけて、棟のてっぺんさたてろ。」って叫んだじょう。「火っつうのぁ、汚ぇのぁ好きでねぇはずだ。なんとしても、この家ば守んねぇばだめだ。」ってはりきってやらせだじょう。そしたら、なんと、いがいなことに風向きぁ変わり、火もだんだんと下火になり、長者どんの家ぁこの災難から逃れることぁできたじょう。「やっぱり長者どんだ。長者どんの知恵ぁ大したもんだ。」って村のひと達ぁただただほめたたえたど。ところぁ米ぁなんぼか残ったじょうども、味噌ぁひとっつも無くなって、毎日米の飯ばかり、食(か)せられるようになってしまったじょう。何十人といる下男下女達ぁ日ぁ経つにつれて、味噌汁ぁ無くてぁ飯もくえねぇし、かせぐこともできねぇって言うようになり、それぇ聞いた長者どんは、となり近所さ味噌をもらいにやって、なんとか何日かは、しのぐことぁできたじょうども、それも長くは続かなくなり、下男下女さ今日一人、明日一人と、ひまぁけで実家さ帰したじょう。そしてついに長者どんと、かが(妻)さまだけになってしまったど。下男下女ぁいなくなってからは、山ほどあった田も荒れていく一方で、長者どんは、あっちの田ぁ売り、こっちの畑ぇ売り、ついに家っこだけになってしまい、その家でさえ誰も手入れする者ぁなくあっちぁ壊れ、こっちぁ壊れ、売る物ぁ何ひとつ無くなり、村一番だった長者どんも、ついに村一番の貧乏者になってしまったじょう。村の人ぁそれから「長者どんも味噌をつけたものだ。」って笑うようになり、それ以来、失敗したり面目をうしなったりした時に、「味噌をつけたものだ。」って言うようになったじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

虫歯の大黒様
 
 むがしむがし、あるところに、じさまとばさまが、一人娘をもって、貧しい生活をしてだったじょう。働いても働いても暮らしは楽になんなかったじょう。ある日、じいさまは娘さ十本の大根を洗いに川さやったじょう。川で大根をごしごし洗ってたら、川の水に大きな人影が写ってびっくりしてふり返ってみたら、品の悪そうなじいさんが立っていたじょう。「あねっこ、あねっこ、その大根を一本けろっ」ったじょう。娘は「大根は数えてよこされたので、やるわけにはいがねぇ」ったら、「んだら大根の「股かぁ」をおそってけろ」ったじょう。その品の悪そうなじいさんは、虫歯の痛み止めにしたいから、ぜひと何度の何度も頼むので、娘はそのうちから「股かぁ」をみつけで品の悪そうななじいさんにけだじょう。おじいさんは、その大根の「股かぁ」で虫歯の痛みを止めることができたので、丁寧に礼をして去っていったじょう。娘は、じさまに怒られっかと心配したじょうども、じいさんのありがたそうな後ろ姿を見て、「ああ、いいことをした。」って思って家さ帰ったじょう。じさまもばさまも怒るどころか、「ああ、いいことをした。困っている人を見かけたら助けてやんだぁ」ってかえってほめられたじょう。それから、娘の家はだんだんと暮らしぶりぁ良くなっていったじょう。あとでわかったじょうども、あの品の悪そうなじいさんは大黒様だったじょう。その頃から、十二月の九日には「股かぁ大根」を神棚にあげで拝むようになったじょぁ。


本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

大滝の主   
備前組山車第4作目「大滝の主と六坊の伝説」の題材になりました。

 むがしむがし、春の雪どけの頃になると、とび口を持って、みのを着てわらじ姿で、山形村の方がら声かげぇしたり、歌を唄ったりして、十人も二十人もの人ぁ、いかださ乗って、久慈の湊の製材所まで丸太ぁ運んだったじょう。んでもこのいかだ流しは、簡単なもんではなかったど。それぇあ、大滝つうところさ来れば必ず丸太ば、引き上げねぇばなんなかったじょう。大滝のところぁ川が渦を巻いていたために、そこを抜けるのができなくて、何人もの犠牲者がでたものだったじょう。んだから、大滝さ来れば、おかさ上がって小屋がけをし、樽酒やへいそくをきって、ろうそくをつけ、「水神様、こごを通ることをゆるしてくだせぇ。」と言って何度もお願いをして、酒をのんだじょう。というのは、むがしから人ぁどぁそこを通ると、何ぁ何だかは知らねぇが、必ず人ぁ死んだじょう。大滝さ行けば水神様が川の中にいて、人を引きずり込んでしまうって、みんなひどく恐がったじょう。あるとき、六坊ぁ通りかり、その辺の人ぁどうから、いつまでたっても事故ぁあとをただねぇと言うことを聞き、「よしっ、俺ぁこごでみんなぁ助けてやろう。何十年も神様ぁ拝んできたのぁ、こんな時に、人ぁどうの役にたつためだと、心を決めたじょう、そして、水神様を三、七、二十一日の月三回お祈りし、その間、塩をなめ、生米をかじっただけで、めしも食(か)ないで大滝さこもっていたじょう。「どうか姿ぁみせでけだらその姿ぁ永久に大滝である水神様のお姿としてお祈りするから。」って拝みつずけだら、二十一日の丑の刻に、生米をかんで水面を見ながらお祈りしていた六坊は、なんだかおかしな風ぁ吹いで水面が「スーッ」とおだやかになるのに気ぁついたじょう。「ハッ」と見ると、よろいかぶとの武士ぁ馬上で川をこいで来たったじょう。んでも六坊ぁ水の中になあして人間だの馬ぁ生ぎでるべぇ、そっただごどは絶対ねぇど思って、「本当の姿ぁ見せでもらいてぇ。」と何度もしゃべりながら、また、生米をかじり水だけ飲んで二十一日間、毎日毎晩手を合わせで水面さお祈りしたじょう。そうして、また二十一日の深夜になったぇば、風と波ぁさーと立って、今度こそぁ本当のお姿かと思って見てぇば、水もしたたるような美人が白足袋をはいたまんま、水面をスーッスーッとすこし足ぁ水に隠れるくらいにして歩いで来たのを見て、こっただ深夜に、こったぁ人ぁしかも女ぁ水の仲さ住んでるはずぁねぇ、なぁして拝んでいるのに姿ぁ見せでけねぇべぇ、姿ぁ見せでけねぇば動かねぇって、またつずけてこもったじょう。さらに二十一日が過ぎ、あわせて六十三日目の真夜中になったら、水がサーッとおかのほうまで上がってしまいそうな勢いで水面が高くなり、ビックリしていたとき、水の真ん中からそこらじゅうが明るくなるくらいの金色の光がさしてきたじょう。六坊は、それでも無我夢中で拝みつずけだじょう。その時、川底のところに剣が逆さに立っていて、龍だか大蛇だかその剣さ、からまるように上へ上って、ファッと口をあけてしばらくその姿ぁ六坊に見せて、サッとあれよあれよという間に消えてしまったじょう。六坊ぁ「ああ有り難いこった、有り難いこったって、六十三日も生米と塩と水だけで拝みつづけ、体がへとへとになり、足もふらふらになるまでこもったかいがあったと、深々とお礼をし、二十一日たったら必ずお姿を彫り物にして、もってくっすけぇに、と水神様に誓ってでていったじょう。二十一日たった日、六坊はちっこいお宮を建て、その中に剣にからまった龍の彫り物をまつり、その姿を大滝の主として拝んだじょう。それからぁ、大滝で事故みなくなって、人ぁどあ安心して通れるようになったじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

節分の鬼
全国ネットテレビ『まんが日本昔ばなし』で放映された感動のオリジナル原話。

 むがしむがし、あるところに、ひとり暮らしのじいさんが、いだじょう。じいさんのかが(妻)は、病気で早く亡くなって、たった一人の息子も2、3年まえに病気で亡くなり、老いてきたじいさんは 細々と暮らしていだじょう。村人も、病気ぁうつるって、あんまり近づかなくなって、いつもさびしい毎日をおくってたじょう。寒明けの節分の晩になって、どこの家でも「福はうち、鬼はそと」って、豆まきぃしてっとこを、そのじいさんは、おらにぁかが(妻)も、子もねえって、あべこべに「鬼はうち 福はそと」って大きな声、で豆ぇまいだじょう。すると、外で「 おばんです 」って叫ぶ物あ、あったど。じいさんが戸を開けてびっくりしたじょう。「いやあ、どごさいっても、鬼はそと、鬼はそとって嫌われてばかりなのに、お前んとごでは、嫌われ者も呼んでけだ、こんなうれしいことぁなぇ、まず、あたらしてけろ 」って家の中さ入って来たじょう。じいさんは、なにもないけど、あたってけろって、たき木を、ぽんぽん、くべだじょう。鬼は非常によろこんで、おかげさまであったまった、何かお礼がしたいが、何か望みはないかって聞いたじょう。じいさんは なにもいらねえって ことわったじょう。鬼はぜひお礼をというので、じいさんは「 お金を少し 」って言ったじょう。鬼たちは、ほいきたといって、出ていったじょう。しばらくして、赤鬼と青鬼は、たくさんのお金をもって来たど。その夜、じいさんと鬼たちは、夜遅くまで大酒盛りをして、楽しんだじょう。赤鬼も青鬼も、今年はじいさんのおかげで、節分は、大どんつく楽しかった、また、来年も来るといって、上きげんで帰っていったじょう。それから、じいさんは一人暮らしでも、なんとか人並みの生活をすることがでぎだったじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記 考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

侍と化け猫
備前組山車第13作目「侍と化け猫」の題材になりました。

  むがしむがし、その又むがしむがしのこと、山奥に古い大っきなお寺ぁあったじょう。そのお寺のお尚様ぁとしょって死んでしまったど。お尚様ぁ死んでからというものぁ、お寺にお参りする人も少なくなり、お寺ぁだんだんさびれ、障子ぁ破け、天井だのそこえら中くもの巣だらけになり、床板ぁ腐って、静かに歩かねぇば危ないくらいになってしまったじょう。そして、いつの頃からか、何ぼいっばぇあげ申して来ても次の日にお寺さ行って見れば無くなっていだど。それぇ不思議に思った村人ぁみんなこわがってますます寺さ近づかなくなってしまったじょう。ところあ、村一番元気の良い熊太爺が、「だったら今夜、俺ぁ寺の様子見んに行って来んべえぁ。」と夕方山さ入って行ったじょう。朝になっても熊太爺が村に帰って来ねぇので、村の人達ぁみんなで様子見さお寺に行って境内さ入ってぇば、青くなってガタガタふるって歩ぐもしゃべんもできねぇ格好してた熊太爺を見つけてびっくりしたど。そしてやっとの思いでみんなあ熊太爺を連れて出て来だど。それからつうもの村の人達ぁ誰も寺さ行かなくなってしまったじょう。熊太爺の話だと、真夜中になったぇば急に本堂の方で何かの音だかギギーギギーと戸でも開くような音ぁし、しばらくしたぇば、スタスタ、スタスタと誰か歩くようで何とも気味ぁ悪い音ぁ近づいて来たので、大きな柱の蔭さかぐれでいだら、ウーウー、ゴロロ、ゴロロと音がしたど。おっかなくなった熊太爺ぁ夢中になって逃げ出したじょあ、あどあ何もほずぁなくなって倒れてしまったところを村の人達に助けられだじょう。その話を遠くの方の強い人だの、元気の良い人達ぁ聞き、その寺の化け物を「退治してやる。」「いや、俺が退治してやる。」と次から次と、寺さ来て泊まって、翌朝、村の人達ぁ行って見ると誰もいなくなってだったど。村の人達ぁ化け物に殺されだが、それとも逃げで行ったのだが誰も本当の事はわがんねえで心配したじょう。それからしばらくたった冬の或る日、そのお寺のうわさを聞いた品の良いお侍がこの村にやって来たじょう。侍は村の地主様の家さ来て「今晩この山の寺に泊まり、化け物を退治したいから、皆さんの力を貸して下さい。よろしくお願い申します。」と言ったんだと。そこで地主様は、「何でも手伝いますからとにかく助けて下せぇ。化け物を今度こそ退治して下せぇ、村中のお願ぇでござぇますだ。」と、そのお侍に頼んだじょう。そこでお侍は、それじゃ、今夜中、夜が明けるまで燃やすだけのたき木を取って、炉のそばに積んでおいて下されと言ったじょう。村の人達は皆で一生懸命たき木を取って来てお寺の廊下のそばさいっぱい積み上げだじょう。村の人達ぁ夜の明けるのをじっと待ったど。侍は、お寺で火をどんどん燃して、化け物の出て来るのを待ったじょう。そのうちにだんだん夜も更けてきて、真夜中を過ぎた頃から侍は、眠むたくなって来たど。はっと目を覚まして又、たき木をどんどんくべているうちに又、とろりとろりと寝むたくなって来たので、そろそろ化け物が出て来るかも知れねぇと思って、寝むくなった目をこすりながら眠ったふりをしていたら、本堂の方からギギーギギーと音がしスタスタ、スタスタと誰か近づいて来るようで気味ぁ悪くなって来たど。侍はそれでも心の中で、ナンマイダナンマイダととなえながら耳を澄まして音のする方を聞いていたじょう。そのうちにその足音はスタスタ、スタスタと侍のいる方さ向って近づいて来たので、気づかれないようにそっーとのぞいて見てぇば、なんときれいな姉様ぁ、白い手拭いを頭にかぶり、帯はだらりと引きずって、侍のすぐそばさ来て立ちどまったじょう。侍はいつでも切りかかれる様に左の手は刀にかけ、右の手では火ばしをにぎって炉をかきまわしていたじょう。外はどんどん寒くなってボタ雪ぁモソモソと降って来たじょう。姉様は又、すぐ侍の隣まで近寄って来て、侍が炉の灰をかき混ぜているのを見ながら、「お侍さんや、この寺に入って来るなんてとても勇気がありますねぇ。今までこの寺に入って来て無事に帰った人はいないんですよ。あなたが私と説破(議論して言い負かすこと。)してもしあなたが負けたら無事では帰しませんよ。」と細々とした声で言って来たじょう。侍は、「よし、わかった。」と一言で返事したじょう。女の人は、侍に「かきならす灰は浜辺の塩に似て…」と言ったじょう。侍も静かに「かきならす灰は浜辺の塩に似て…」と言うと又、女の人が「かきならす灰は浜辺の塩に似て…」と言ったじょう。そのうちに山ほどあったたき木も燃えでしまって、炉にぁおきだけになってしまい。そのおきを見ているうちにうんわかったぞと侍が思ったぇば、又女の人ぁ「かきならす灰は浜辺の塩に似て…」と言ったので、侍はすかさず「ぐるりが浜からが見えるぞ」と答えたじょう。そうしたら、その姉様ぁスーッと立ったかと思ったぇば本堂の方でデーンと音がしたので急いでそっちを見たら、真暗い本堂でギラギラ光るげんこつの位の大きさの玉の様なものぁ二つ右へ行ったり左へ行ったり、高い天井をガラガラ、ガリガリ音を立てて動きまわっていたど。侍は、今だと思って刀をさっと抜き、ギラギラ光る玉の様なものに切りかかったじょう。侍は、くたくたに疲れて、どの位時間がたったのか気がついたら夜が明けていて、夕べの化け物もいなくなって、お寺の中もシーンと静かで夕べ何もなかったかのようだったじょう。そのうちに村の人達も心配して寺に見にやって来たじょう。村の人達は、侍の元気なのに驚いたり、喜んだり、騒いだりしたど。侍は、確に手ごたえがあった。その辺に何かいるか調べてくれと言って、村の人達は、その辺を探したら、雪の上に真っ赤な血が点々と落ちてその後をみんなでついて行ったぇばお寺の裏山を一つ越えた所に大っきなほら穴があって、そこさ行って見だぇば何と大きい寅位もある猫ぁ一匹眠った様にして死んでだったじょう。村の人達ぁ、それぇ見て、きっと俺達ぁお寺を粗末にしていたから、あんな化け物ぁ住みついてしまったんだぁと口々に言い、先祖のいる大切なお寺だからと、きれいに掃除をし、腐った床や壊れた天井などを治し、時々に寺参りをするようになったじょう。化け物を退治したお侍は、この村の人達のたっての願いとあってこの村にとどまることになり、このお寺のお和尚になり、村人達と仲良く、村の人達もしあわせに暮らしたじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

八郎太郎の話
  むがしむがし、大川目の村の荒津前平つうどこさ、八郎太郎っていうばかに元気のいいわらすぁ(子ども)いだじょう。八郎太郎ぁ、毎日毎日野っぱらぁ走り回ったり、山々を駆けめぐって遊んでるわらす(子ども)だったじょう。 ある日、あんまり走り疲れたので喉ぁ乾いて、横になってぇばすぐそばに小さな川ぁあったじょう。澄んだきれいな水だったので、そっと手を合わせて汲んだじょう。水の中に見えなかったのに、手の上さ一匹の腹の赤い雑魚(じゃっこ)ぁいだじょう。八郎太郎ぁびっくりしてもう一度汲み直したど。んでもまた腹の赤い雑魚(じゃっこ)ぁ入ってたじょう。何べんやっても同じだったじょう。そうしているうちに段々喉ぁ乾いてくるので思い切って飲んでしまったど。あんまりおいしいんで飲みつづけたら川の中の水ぁ無くなってしまったじょう。気ぁついで見たら、なんと八尺もある大男になってたじょう。それからつうもの、太郎ぁ水無しでは生きられないほどの水飲みになってしまったじょう。太郎はまた喉ぁ乾いて来たので、その大きな足で水を探して歩き出したじょう。なにしろ一度に二十間も三十間も歩けるので、ちょっと歩くと水ぁ見つかったど。んでもあまり水ぁ少ながったのでせっせと土を盛って、その小さな川ぁせき止めたじょう。それぁ今のモッコ山つう所だじょう。歩いているうちに、草履ぁ重くなって来てよく見たら草履の裏さ土ぁいっぱいついでだったじょう。太郎は、よいしょっとその土をはらったら小さな丘ぁそごさ出来たど。そごあ今の草履森だじょう。太郎は自分が一番強いとうぬぼれて力比べの相手っこ探がしに出かけることにしたじょう。そして北さ向って歩いて行ったじょう。腹ぁへって一休みしてお昼を食べたじょう。今ではそこをヒリーバ(昼場)っていうようになったじょう。青森の方さ行っても、なかなか適当が相手ぁ見つからず歩いていだら、大きな屋敷ぁあったじょう。太郎ぁ入って行って力比べ申し込んだら、そこの主人は「ようし、この熊に知恵比べ、力比べぇして勝ったら相手になってやる。」ったじょう。太郎ぁ腹を立てで熊と争ったじょうあ、なんのただの熊でぁなく神通力を持った熊だったじょう。結局太郎は両方とも負けでしまったど。主人は、「お前ぁ、おれの相手になるには足りない。この鉄の草鞋をやっからこの草鞋がすり切れる所まで歩きつづけで、切れた所をお前の住む地とせよ。」って一足の鉄の草鞋を渡したじょう。太郎は仕方なく、あっちこっち歩いたじょう。ある日、秋田の海岸を歩ってだらプッツリと草鞋ぁ切れだじょう。そこで近くの民家に宿をとり、年寄り夫婦がら夕食をもらって食べ終ると、またひどく喉ぁ乾いで来たじょう、太郎ぁ水が欲しくなって、いろりに長い火ばし突っ込んだじょう。するとどんどん水ぁ湧いで来たので、二人を近くの山さにがしたじょう。水ぁどんどん湧きつづけで、今の八郎潟になって、太郎はそごを住む地として主になったじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

キツネのお産

 むがしむがし、真冬の寒い吹雪の夜に、町医者の玄関をたたく者ぁあったじょう。ドンドン、ドンドン、風の音に消されて誰も起きてこながったど。それでもドンドン、ドンドンと玄関をたたきつけたじょう。やっと女中がその音を聞きつけて起きてみると、吹雪の中でこごえそうにして一人の男ぁ立っていたじょう。
その男ぁ今、女房ぁお産で苦しんでいるから、先生をお願ぇします、とあわただしくしゃべったど。女中は中に入って、先生は真夜中だし、この吹雪では行けねぇってますと、ふたたび顔を出して言ったじょう。その男ぁ泣きながら、「先生が行ってくれなければ、女房は死んでしまいますぁ。お金ならなんぼでも出します。どうか助けて下せぇ。」と何度も何度もお願いしたじょう。女中からその話を聞いた奥さんも、女としての思いやりから行って助けでやって下さいと医者にお願いしたじょう。医者はやっと行く気になって馬を出し、どこだと聞いたら、男は私について来て下せぇと言って歩き始めたじょう。馬ぁその男に近づくと、首をあげて歩かなくなりなりしたので、男は離れで歩いたじょう。そうして、一時間ぐらいたったかと思うと、むごうに大きな家ぁ見えて来たど。男ぁこごですと中に入ったじょう。医者はその家の前にあった大ぎな松の木に馬をつないで家へ入ると、男の言ったとおり女の人ぁうめき苦しんでだじょう。んでも医者は、かれこれ一時間ぐらいでなんとか無事に出産させだじょう。主人だと思われるその男は、喜んで何度も何度もお礼をし、札束のはしっこぁ見えるようにして、お金をふろしきに包んで持って来て渡し、「これぁ、奥さんへのお土産ですぁ。」と新巻鮭を五本くれたじょう。医者は何十年と医者をやっているが、こったに運の良かったのも初めてだなぁと思い、いつまでも手を振っているその男に何度も礼をし、馬に乗って帰ったじょう。奥さんには、朝になってから教えてビックリさせでやろうと思ったじょあ。がまんしきれなくなって、帰ると呼び起こして、お金と新巻鮭を渡したじょう。奥さんは、ふろしき包みをほどいて木の葉ばっかり出て来たのにびっくりし、「あんだぁ、キツネにだまされたべぁすか。」って言ったぇば、医者ぁじぁその新巻鮭ぁって、そっちへ目をやるとそれもみんな木の枝っこだったじょう。奥さんは、年寄りから聞いたキツネにだまされた人間は、朝日ぁのぼるころ目ぁさめっちょうという話っこを思い出し、朝日ぁのぼるのを待ってだじょう。朝になって医者ぁ、お金はみんな木の葉、魚ぁみんな木の枝っこだったのにびっくりして、夕べの道をもう一回馬に乗って見たじょう。みかしのことだから、だれの歩いたあともなく、馬の足あとしか残ってながったので、すぐ見つけれだったじょう。大きな松の木にぁ馬のつながれだあともあり、雪の上にお産のあとらしく血ぁこぼれでだったじょう。それからつうものぁ、だれぁいうともなく、キツネにだまされた医者だじょぁと町中のうわさになってしまって、ある晩にその町を医者ぁ逃げ出してしまったじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

坊さんのとごろ
※とごろはトコロのこと。とても苦い不思議なイモ。

 むがしむがしのこと。村の娘っこが家の前の川で山芋を洗ってだったじょう。そこさ、きたならしいなりをしたお坊さんが来て、橋の上さ立って、「娘っこ、その山芋はうまかべっ、ひとつけでみろ。」ったじょう。
娘っこは、「いいえ、お坊さん、この山芋はひどくにがいものですぁ。」って欲ばってことわったじょう。したぇば、お坊さんが「娘っこよ、大むがしぁなあ、山芋はひどく甘くてうまいものだったぞ。」ったじょう。娘っこは洗い終って、芋をかわかして食べたじょう。そしたら、とんでもなくにがくて食べられたものじゃながったじょう。それから、おふくろさしゃべったじょう。「川の橋の上で、きたならしいなりしたお坊さんが、うまかべ娘っこひとつけでみろったので、もったいないから、にがくてとても食べられたものじゃありません。てことわったったっぁ。」って、あの時のことをしゃべったじょう。したぇば、おふくろは、そのお坊さんは弘法大師だったべぁよ。そんなうそをつくから、芋ぁにがくなって食べられなくなったんだぁよって、娘っこをひどくしかりつけたじょう。むがしは、うそをついたり、悪いことをする者がいると、そういうふうにして道を広げなさったじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

マスコとキジッコ

 むがしむがし、マスコ(さる)とキジッコ(きじ)と寄り合いかまどをたでだじょう。春になってマスコとキジッコぁ粟っこをまくべえったじょう。マスコもキジッコも大切におがしたじょう。ある日、「粟の穂っこぁ出だが行って見でこう。」ってマスッコぁキジッコにしゃべったじょう。キジッコが畑さ行ってぇばたくさんの穂っこぁ出でで、一つだげ味見してみようと
()ったっけぁ、あんまりうまいせぇで一つだけ、あと一つだけって()ってるうちに、畑の栗っこをみんな食ってしまったじょう。キジッコぁ困ってしまって、マスコさ「もう少しで出っとこだっけぁ」ってうそをしゃべったじょう。マスコぁおがしく思って、畑さ見に行ったじょう。よく見たぇばみんな食ったあどだったと。マスコぁ家さ来て、キジッコぉ。竹っこを切って来てけろぇ。」ったど。「竹っこを切って何せぁ」とマスコに聞いたじょう。マスコぁ、「冬になって食うのぁなぐなったら、竹っこで串つぐってキジッコを焼いで食うべぇ。」ったじょう。キジッコぁ恐ろしくなって泣き出してしまったじょう。そごさ、栃の実っこぁ来て、「キジッコ、キジッコ、なぁして泣ぇでだ。」って聞いだじょう。キジッコぁわけぇしゃべっておしえたじょう。「よしよし、んだら我ぁ味方してけるぁ。」たど、んでもまだ泣きやまなかったじょう。そごさ、カニぁ来たじょう。「キジッコ、キジッコ、なぁして泣ぇでだ。」って聞いたじょう。キジッコぁわけぇしゃべったぇば、「よしよし、我も味方してけるぁ。」たど。今度ぁ山からバチぁ飛んで来たじょう。「キジッコ、キジッコ、なぁして泣ぇでだ。」って聞いたじょう。わけぇ聞いたバチぁ、「よしよし、んだら我も味方してけるぁ。」たど、そこを通りかけたベコのくそぁ、泣いでるキジッコを見で、「キジッコ、キジッコ、なぁして泣ぇでだ。」って聞いたじょう。キジッコぁ、わけぇおしえたじょう。「よしよし、んだら我も味方してけるぁ。」たど。みんなで相談しているどごさ、ウスとキネぁ来たじょう。わけぇ聞いたウスとキネも、キジッコさ味方することになって、みんなで相談したど。栃の実っこぁ、火の中に入ったじょう。ガニぁ水ガメの中さ、ベコのくそぁ小屋の真ん中さ、バチっこぁヌカの中さ入ったじょう。ウスとキネぁ庭の天井の上さあがってだじょう。そうして、マスコの来るのを待ってたじょう。しばらくすっと、マスコぁ帰って来て、キジッコ焼く竹串をといでだじょう。すると、火の中にいた栃の実っこぁドーンとはねだど。「あっつ、あっつっ」てマスコぁ立ち上って台所の水ガメさ手を入れたじょう。ところぁ、水ガメの中さガニぁいでちぎったど。マスコぁあわでて今度はヌカの中に入れだぇば、バチっこが刺したので、「痛てで!痛てで!」って庭さ走っていったぇば、そこにあったベゴのくそをふんですべって転んだじょう。その時天井のウスとキネもドシーンと落ちて来て、マスコをつぶしてしまったじょうあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。

米ぼうと糠ぼう

 
むがしむがし、あるところに米(こめ)ぼうと糠(ぬか)ぼうという二人の姉妹があったじょう。
 糠ぼうは稼ぎ手で、そりゃ毎日毎日一生懸命稼いでだじょう。米ぼうは、おしゃれ女でいっつも着飾ってばっかりだったじょう。
 ある時、二人ぁ畑の草取りに行がせられだじょう。米ぼうぁ休んでばっかりで全然草ぁ取んながったど。んでも糠ぼうぁせっせせっせと稼いで一生懸命草取りぃしたじょう。
 二人ぁ畑がら帰っと、米ぼうぁ父親さ糠ぼうぁひとつも草ぁ取んながったぁって、うそをしゃべったじょう。父親ぁ、かんかんになって糠ぼうをしかりつけたど。んでも糠ぼうは何にもしゃべんながったじょう。
 二人ぁ、髪けずるにも、米ぼうぁピンパラリン、チョウジャって、糠ぼうぁ、オソジハリーハリーってけずったじょう。
 ところぁ、米ぼうぁ、すごい美人なのに、ひとつも嫁もらいが来ながったど。糠ぼうぁ方ぁめぐさがったじょうども、嫁っこにほしいっつう人ばっかりだったじょう。
 そごさ、通りかがった侍が、糠ぼうを嫁っこさ欲しいって父親さたのんだじょう。しかし、父親ぁ、「米ぼうなら美人だしけでもいいが、糠ぼうぁ、はずかしくてけれねぇ。」ったじょう。そごで、侍ぁ何べんもお願いしたど。最後にお金どっさり出して、「ぜひ、糠ぼうを嫁さけでけろ。」ってたのんだじょう。父親ぁ、やった許して侍と糠ぼうぁ、二人で旅さ出てったじょう。
 一人っこになった米ぼうぁ、「おれも嫁っこさ行ぎたぇ。」って父親さ、毎日毎日泣いでたのんだじょう。そうでなくても、あまりいい顔でもなぇのが、ますますひどくなってしまったじょう。
 仕事もしないで泣きつづけている米ぼうに、あきれた父親ぁ、ある日、「米ぼう、嫁さんさ欲しいつう人ぁあっから、牛に乗せで連れでってやんがよ。さあ、支度くせぇ。」ってしゃべって、米ぼうを牛の背中さ乗せで家ぇ出たじょう。
 しばらくしたら、茅やぶぁいっぱいあるあたりに来たじょう。父親ぁ、「米ぼう、そんなに嫁さ行きたから行ってしまえっ。」ってしゃべって、茅のやぶ中さおっころばしてやったじょう。
 それで、今でも茅の根っこぁ赤ぇ色してっじょあ。

本文の題は語り手または編者がつけた。
話し方についてはできるだけ方言に近い表記と考えたが読みやすく理解しやすいことに重点を 置いた。