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いろんな風が吹いてます

大川目の節句こよみ

 

 地域には昔からの伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日がいくつもあり、大切に扱われてきました。ここ大川目(久慈地域)でもいろいろな行事がありますので、ここで紹介します。

節句こよみ

※月日は全て旧暦です

節 句

内 容


1日
元旦

門松

 昔は門松も3階(枝が3つ以上でているもの)ものと称し、高さ3尺以上もある見事なものが戸毎の門に立てられたが今ではしめ飾りがほとんどである。

若水汲み

 その家の歳男と称するなるべく若い男が、朝できるだけ早く起きて、近くの井戸に新しい桶を持って水を汲みに行き、歳神は女神であることから途中女と会ってはいけないとされた。水は神棚に供してから使うことになっている。元旦のほか3日、5日、7日にも汲んだ。

元朝参り

 近くの神社やお寺へお参りし、家内安全と年中の幸せを祈願する。

ご年始

 ずっと昔は、村内の有志(旦那衆)が羽織・袴に身を包み、各戸をまわって年始のあいさつをして歩いた。

7日

七草粥

 大根などが少し入ったものが多く、主に小豆粥がつくられた。この日鏡餅の食い初めをする。

11日


肥餅節句こえもち

 1日、3日、5日、7日とご馳走として餅を食べたが、この日は楢の木の枝3本を切って、馬屋から肥やしを出したものにその枝を差し、1年の豊作を祈った。

15日

小正月

 小正月は歳縄(としな)を取り、神社に納め、その時幣束をちぎり取って子どもたちがそれに豆を包み、近い親戚に「豆っこ買って下せぇ」と言ってお金をもらってまわった。
 小正月は女の正月と言われ、農家を中心に瑞木(みずき)に稲穂・稗穂・粟穂・繭玉などその形を作ったものを餅などで作り瑞木に差して、1年の豊作と家内繁盛を祈願。これは家内の人数分作り20日の朝、この餅を食べる。夕方には「戸窓ふたぎ」と言って、煮干・餅をくるみの木の串にはさみ、松木で黒くし、家中の戸窓数ほど作り、家族全員が家の中に入ってから、その近くに差し込み悪魔払いをした。出稼ぎ者のある家などは玄関だけには差さなかった。
 夜になると「ナモミ」と称し、青年たちが鬼の面をつけて、ミノやカマス袋などを着けて、「悪い子はいないかぁ」と言って戸毎を回って、ひとつのしつけの役目を果たしていた。ナモミの来た家では「悪い子はいません。」と餅や金品をさし出して帰ってもらった。

16日

鳥追い

 この日の早朝、その家の子ども達が「長者どんのかくじ(屋敷)には鳥もいなぇかくじだホーイホーイ」と言って、家の回りをを木ぎれをたたきながら3から5回叫んでまわった。これは穀類が鳥に荒らされないためであると言う。
 16日は、「地獄の釜の蓋も開く」と言って、掃除もせず家族全員休んでお寺参りをした。実際には食器・鍋釜は使ったがそれらにも餅を供えた。


1日

二月年取り

 男は2・5・8、女は3・7・9のつく者を厄年に当たると言い、紙に一文銭や豆などを年の数ほど包み、無病息災を願って体をふき清め、近くの十字路に誰にも見つからないように捨てて帰る習慣があった。

3日

節分

 鉄鍋で豆を煎り、一升枡に入れて神棚に供え、戸口に向かって「鬼は外福は内」とまき、最後に鬼を追い出す意味で玄関からまいて、残った豆を年の数ほど食べるとその一年が健康であると言う。まいた豆を拾って食べるとシラミがつくと言って食べないところもあったという。

初午

 この日は部落毎に一戸から1人づつ出て、宮司などを呼び、酒宴をし、鎮火を願った。

彼岸

 春彼岸には彼岸団子を作りお寺に供し、親戚間でもその団子を配り合い、仏壇に供える。中日には、お寺に老若男女が集まり念仏と僧侶の説法等を聞いた。


3日

ひな祭り

 旧家で、いいところではひな祭りをしたところもあるが、全戸とまではいかなかったようである。

潮干狩

 一般には仕事を休み、海岸に出かけて潮干狩をしたり、家庭では赤飯などを炊いて祝った。

八十八夜

よもぎ餅をついて神前に供え厄払いをした。


8日

御釈迦様

 お釈迦様の誕生日として寺参り、お墓参りをし、甘茶をいただいたり、寺側でお釈迦様を形造ったものを車で曳いて町の中を歩き回り甘茶を配った。家々では、よもぎ飯や赤飯を作ってそれを祝った。


5日

端午の節句

 この日は、遠くに行っていた人も必ず家に帰って来て、よもぎと菖蒲を戸口毎の屋根にその夕刻に置き、最後に家族全員家の中に入ってから玄関屋根に置き、悪魔払いを行った。よもぎと菖蒲を風呂に入れたり、角結びの冠にしたり、それで体をこすると病気にならないとか、病気が治るとかと言われている。赤飯や草餅・煮しめなどを作って全員で祝う。鯉のぼりを立てる風習はほとんどなかった。

早苗振
さなぶり

 田植えが終わると、2、3日ぐらい早苗振と称して部落全員が農作業を休み、害虫を見つけ藁苞(わらつと)に包み川に流し、虫祭りと言って、その年の害虫駆除を願った。


1日

ムキ節句

 干し餅(正月についた餅)を鬼の骨と言って食べた。歯が丈夫になると言い伝えられている。

15日

天王様

 各々の家庭で初キュウリを神棚に供し、部落によっては宮司を呼んで酒宴をしたところもある。


7日

七日盆

 七日盆と称し、赤飯や小豆ばっとう(手打ちうどん風のもので小麦粉で作る幅広のもの)を作って仏前に供し、各々の家庭では祖先の墓を掃除したり道路の草刈りを盆払いと言って行ったりしてお盆の準備をした。子供たちはこの日7回ご飯を食べ7回水遊びをした。
 七夕は一般的ではなかった。

13日

16日

お盆

 一般には河北地区(新町・田中・山口等)は13日から15日までをお盆とし、河南である三日町は商家が多く、三日町に13日に市が立ち近郷近在から盆用品を買い求めに来て賑わうことから、14日から16日までがお盆とされるようになった。盆の初日から3日間夕刻墓参りし、洗米(あらいね)や菓子・野菜などを供し、松を焚き線香、ろうそくをつけて供し、家々では段飾りに仏様をまつり、桐の葉に精進料理をあげて供し、3日間とも夕刻になると門火と言って仏が迷わず来れるようにと迎火を焚く。3日目の朝、一切をコモに包み橋の上から川に流した。新しい仏がある家では四十八あかしと言って3日間、玄関先で焚き、親類縁者はその家をまわって供養する。

盆踊り

 お盆の13日から20日過ぎまで各地でナニャドヤラの盆踊りが行われる。夜を徹して行われるところも少なくなかった。

20日

二十日盆

 二十日盆と言って墓参りはしないで、仕事を休む。


3日

5日

日市

 この3日間は日市(ひいち)と称し、大野や軽米等からも来て出店を連ね、その年に嫁に行く家では長持ちや着物などを用意した。

15日

月見

 お月見というほど盛んではなかったが、畑で取れたものを、善にあげて供し、枝豆などを食べて拝むことがあった。


9日

19日

29日

九日餅
くにちもち

 この月の9日・19日・29日と3回の9日のうち、後9日の29日に餅をつき昔の種が腐らないようにと願い、そのついた餅をお重に入れて、田んぼをやっているところは田んぼの水口に、畑のところは畑の中にそれを置き「神様に申す」と言い、カラスなどがつついて無くなってからお重を取りに行った。
 家庭ではその餅を九日餅と言って祝って食べた。

11

24日

大師講会だいしこかい

 大師講と言って、桑・桃・箸木と言われる木で、箸と杖を作り、粥の汁(人参・ごぼう・焼き豆腐・ちくわ・ささぎ豆・芋・大根をいれたもの)をいっぱい作り、何日も食べるようにした。
 昔、お大師様は大変貧しくて、更に24人もの子どもがあったため粗末な小豆粥を用いたことから、杖をついてもその箸で子どもたちを養えるようにとのことから行われている。この辺では小豆粥を作ることは少なかったと言う。

12

5日

恵比寿様

 五日恵比寿と言って尾ひれのついた魚を供え、恵比寿様の年取りを祝った。

9日

大黒様

 お大黒様の年取りと言って、豆の料理と、又になった大根を神棚にあげて、ご馳走を作って祝った。

12日

山の神

この日は、山に関係のある仕事をしている人、山を持っている人などは山に入らず山仕事を休んだ。それぞれの家庭で豆しとぎを作り、餅をついて祝った。

15日

八幡様の年取り

 この日は、八幡様の年取りと称して、お供え餅を作り神棚に供えた。

16日

農神様

 農神様の年取りと言って、うきうき団子(きびの粉で作るのが主である)を作って1年の豊作を感謝し供え、また、オシラ様のある家ではオシラ様を年に1度、この日だけ神棚から下して新しい着物をつけて、さすったり、病気が治るようにとか、健康であるように願った。

19日

御蒼前様

 御蒼前様の年取りで、本来は馬にご馳走を食わせるものであったようだが、いつのころから馬屋にいる牛馬を含めて、農耕等への感謝として餅や酒を馬屋の入口にある神棚に供えた。

25日

天神様

 この日は天神様の年取りとして称して、子供たちを中心に、学問に秀でるようにと祝ったと言われているが、当地ではあまりない。

31日

大晦日

 小正月が女の年取りと言われているのに対し、この日は男の年取りである。何日か前にすす払いをし、この夜は、しめ飾りや門松を立て、餅や煮しめに数々の料理を作り、お神酒を神仏に供えて過ぎた日の安泰と、来たる一年の安泰を祈る。